おんがくファームまんどろ


プロフィール

吉田豊
吉田豊 プロフィール

僕は、大学生がストライキをしたり、革命を標榜するデモを主導したりする時期、1969年に花の都東京に出ました。その頃、すでに新幹線はありましたが、上京するのはたいてい伊勢号改め紀伊号となった夜行列車で、伊勢市駅から出かけたものでした。

慶應義塾大学経済学部在籍の4年間で、ストライキのなかったのは3年生のときだけで、最後の年はそのままでは卒業試験もできず、大量の留年学生を生むということで、大学当局が警官を導入して、学生のバリケードを破って、授業を強行したのでした。僕はどうしてよいかわからないまま、右往左往しながら4年間を過ごし、とりあえず卒業は致しました。

その頃、男という男は(もちろん意志を持った例外の人はいた)髪の毛を伸ばして誰でもギターを弾いていました。僕もそんな一人でした。

覚悟もないまま生まれ故郷の伊勢市役所に就職し、2年間教育委員会で働かせてもらいました。学校の先生になりたい気持ちはあって、その後大阪の生野ろう学校、三重大学附属養護学校、さらに度会郡の二見小学校、玉城中学校、南島西中学校で先生をしてきました。26年間の教員生活のうち、2年間は内地留学ということで三重大学に学生として通わせていただき、今でいう特別支援教育や学校カウンセリングの勉強をしました。この26年間の大半は障がいのあるお子さんの担当教師でした。

先生を辞めたのは、障がいのあるお子さんたちとの音楽活動で、格別に見開かされるものがあったからです。そして2000年にフリーの音楽療法士となりました。

三重大学の大学院で音楽教育や音楽療法の勉強もし、たまたまの行きがかりで、音楽療法学会の東海支部長もしました(すぐ辞めました)。いつも大して覚悟はないのは同じで、いわばなりゆくままに、その時点では僕なり(人から見ればぬるいの一言でしょうけれど)の一所懸命でやってきて、現在に至ってます。

2009年くらいから村井楽器さんで音楽療法の事業が始まり、深く関わらせていただき、これが発展しNPO法人「MTちいき(三重音楽療法地域推進協会)」が発足しました。おかげで、何だか気ぜわしく、折々張り切ったりして、これはありがたいことですねえ・・・。


ギターをかき鳴らして歌うこと、それに共鳴して心ふるわせること、そして通い合うこと。多分そういうことが、僕のまわりで平気で起こっていて、そこに立ち会え、当り前のようにコミットしてる自分は幸せです。もうホンマすべての皆さんに感謝するしかないです。ありがとうございます。


[ 現在 ]


[ 経歴 ]
- 学歴 -
- 職歴 -

[ 著書 ]




おんがくファームまんどろ

教員時代にも障がいのある子どもたちと様々な音楽活動を楽しんできましたが、2000年に学校の先生を辞めて、音楽療法士として本格的に活動をするようになりました。

「おんがくファームまんどろ」は、とりあえずはスタジオとオフィスの場所そのものですけど、フリーになった僕の所属名でもあり、活動の旗印とも言えます。そして音楽療法やライブ活動、時にはイベントもしかけながら、様々な人との音楽の交流を重ねてきました。「おんがくファームまんどろ」はそういう人たちとの絆でもありました。


スタジオとオフィスだけでなく、ゲストハウスも充実させました。ミーティングや勉強会、宿泊もできます。バンドやゼミの合宿にも使ってもらえれば嬉しい限りです。

「おんがくファームまんどろ」が、ますます、出会いと交流、そしてつながりの拠点となれるといいなあ、と思います。
  まんどろとは

三重県の南部、紀北地方(紀伊長島、海山、尾鷲)の方言で、夜、漁に出る船の灯りのこと、つまり漁り火。語源は「万の灯篭」からきているらしい。ぱっと明るい様子のときにもこの言葉は使われるとのことです。

東北、青森の津軽弁でも同じ意味で「まんどろ」という言葉があるらしい。つながっているんですねえ。

一つ一つはばらばらで、それでいてなんとなく一まとまりの光景に加えて、何ともゆかしい言葉の響きにひかれて、自分の目指す音楽にもぴったりくるものを感じました。どこにも指揮してる人なんかいないのに、心にしみる穏やかな明るさでしょう。

障がいのある人との音楽活動で紀北町紀伊長島にお邪魔したとき、この「まんどろ」という言葉を知り、それ以来、グループの名前に勝手にいただいてしまいました。

おんがくファーム まんどろ
〒519-0404 三重県度会郡玉城町長更409
e-mail: mandoro-mandoro@qc4.so-net.ne.jp
TEL: 0596-58-2608 / 090-9024-5916
WEB: http://mf-mandoro.net
Blog: http://blog2.mf-mandoro.net